襲撃ーIn a Forestー 2

 ピッ……ピッ……という規則正しい電子音が耳に届き始める。消毒の香りと酷く重たい身体から、此処が病院なのだと認識した。しかし何があったのかまでは、すぐに思い出せない。こうなる前に俺は何を。

「……っ名前、」

 脳が覚醒していくのと同時に、森での出来事が徐々に蘇ってくる。彼女の姿を探そうと重たい瞼を持ち上げれば青白い天井が視界に映った。あの後、一体どうなった? 彼女は無事なのか。

「名前なら無事よ」

 その声はジョディだった。名前は無事だと言うが、ここにいないということは恐らく怪我を負ったのだろう。身体起こそうとすれば刺さるような痛みが腹部に走った。無様な己の姿に舌打ちする気にさえなれない。

「っ……どこに、?」
「シュウ、その身体じゃまだ動けないわよ」

 記憶の最後、銃を借りると言って離れていった彼女は一人、立ち向かっていったのだろう。援護も出来ず、彼女を一人危険な目に合わせたのだという事実は受け入れ難い。

「ねえシュウ、名前は大丈夫!右腕を負傷しているけれど、問題はないって」

 ジョディに肩を抑えられ、立ち上がるのを制される。鉛のように重たい身体は言うことを聞かず、されるがままだ。

「右、腕……?」
「ええ、でも彼女、武装した三人を制圧したというから、みんな驚いているわ」
「……意識は?」
「一人、あるわ。でも事情聴取は早くても明日以降に」
「名前は?」
「え?」
「名前の、意識は?」

 私が見た時は、まだ眠っていたけれど……というジョディの言葉から名前の傷の具合を察する。なんということだ。思わず瞳を閉じて、息を吐いていた。

 彼女が、どのタイミングで負傷したかは分からない。それでも必死に一人で立ち向かっていたのだ。そして利き腕ではない左手で、圧倒的不利な状況を制圧してみせた。それはいつかの、射撃場で黙々と練習に励んでいた彼女の姿を彷彿とさせるが、しかしそんな目に遭わせたのだという事実が全くもって受け入れられない。

「待って、すぐに医者を呼んでくるわ」

 ジョディがそう言って出ていくのが分かる。返事は何も出来なかった。

“ちょっと!どうしてもう歩いているの!?ダメじゃないっ、休んでいなきゃ!”

 廊下からジョディの声が聞こえる。まさか名前なのか。閉ざされた病室のドアをひたすら見つめていると、やがて勢いよく開かれた。

「無理しちゃダメよ、名前っ!」
「へ、平気です……ちょっと休憩していただけで、!」

 名前は心配するジョディを気遣ってか、そう言って僅かに笑みを見せている。服は汚れ、右腕にはギブス。満身創痍であるはずが、ここでも気丈に振る舞っていた。そんな彼女を前にして浅く息が漏れていく。

「あ……あかいさっ」

 名前はまるで幻でも見ているかのように、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。

「よ、よかったっ……目覚めたんですね!」

 心底安堵したような表情をして、口元に手を添えている。その右腕には包帯が巻かれていた。

「……名前、」
「赤井さっ、大丈夫、ですか?」
「……ああ」
「よかっ、た、私……っ」
「……ジョディ、悪いが、」

 席を外してくれと言おうとすると、ジョディは医者を呼びに行くと行って廊下を駆け出して行った。二人ともを安静にさせなければと、思っての行動なのだろう。今、医者を呼ばれては困るところではあるが、仕方がない。

「……名前、」

 悪かった、助かったよ、よくやったな。どの言葉も、今の気持ちを表すのには合っていないような気がした。

「具合は?」
「わ、私は全然平気です!……しばらくは内勤になりますけど」

 そんなことはせず休めと言いたいところだが、今、伝えたいことはそれではない。

「眠って、いたと」
「あっ、そのっ……横になっていたらちょっと、安心しちゃったみたいで」

 でももう大丈夫ですと、名前は笑顔を見せる。しかし、いくら彼女がFBI捜査官であるとはいえ、たった一人で武装した複数犯に立ち向かうことは相当な覚悟を要する。それが当たり前と言われたらそうではあるが、だとしても辛い思いをさせたことに変わりない。

「大丈夫か?」

 悩んだ末に、やはりそう口走っていた。彼女の返事は分かっている。それでも聞かずにはいられなかった。

「赤井さんに比べたら、全然!軽症ですよ!」

 名前は右腕を摩りながら、笑って答える。聞いたのはもちろん、怪我の方ではない。それを分かっていて誤魔化したのか、そもそも伝わっていなかったのか。どちらにせよ、そういうことじゃないと、質問の意図を明らかにすることも出来たが、今そうしたところで返事は見えていたため口を閉ざした。

 それよりも、今はこの腕で彼女を抱きしめてやりたい。それなのに今はまだ立ち上がることができない。自分の身体が疎ましくて仕方がなかった。

「名前、」

 胸の奥底が締め付けられるような、痛みの正体は分かっている。言い訳じみた言葉はいくらでも並べられるが、今ようやくハッキリと自覚した。誰にも傷つけさせやしない。彼女はずっと、守り続けたい存在だった。

「あかい、さ……っ」

 名前の手へと腕を伸ばしていく。彼女も、この行動の意味をすぐに察したのか両手を差し伸ばしてきた。そっと指先同士が触れ合う。ひんやりと、冷たい指先を温めるように包み込みそしてこちら側へ引き寄せていく。

「ありがとう」

 まだ、その裏に込められた想いは告げない。それは互いに満足に動けるようになったら。

「もちろんです」

 そう言って笑う名前を見て、彼女を握る手に今ある力を全て込めていく。

 彼女は随分と強くなった。だとしても、彼女を守る存在は自分でありたい。その想いを表すように、そっと名前の手を口元に寄せていく。不思議そうに見つめている彼女を目に焼き付けながら、その細い指先へ愛の印を落とした。

「……っ」

 名前は驚いたのか身体を強張らせながら、視線を揺らしている。当然、この意味が分からないことはないだろう。そうだ、これから意識していったらいい。こちらはもう元へ戻るつもりはないのだから。

 やがて廊下からは慌ただしい足音が聞こえてくる。ここまでがタイムリミットだった。続きは今度、と名前を見上げてみれば彼女は慌てたように手を離していく。行先を見失った手だけが、宙に浮いたまま。俯く彼女とは、それから視線が合うことはなかった。